6
ふっと意識が戻ったが、辺りは暗闇。
俯せているからかと顔を上げたが、やはり明かりはどこにもなく、
ただ、この場で目を伏せていた身なので、鼻を摘ままれても判らぬというほどではない。
視線だけを巡らせれば、ところどころに明るみがあるのに気が付いて、
夜中というわけじゃあないなというのが察せられる。
布団蒸しにでもされているかのような圧迫感は闇色から感じただけで、
蒸し暑い空間だが、息苦しいところまではいかない程度。
埃っぽく、うっすらと機械油の臭いがして、
依然として地下鉄の中かと思ったが、それにしては疾走中の轍が刻む振動が伝わってこない。
“…此処は?”
自分の置かれた状況が判らず、静かであることを足場にしばし動かずにいた芥川であり。
とはいえ、暢気にぼんやりしているわけでもない。
多少なりとも価値のあるものは追い回され、そうでないものは捨て置かれたのが貧民街で、
そこからは脱した身じゃああったれど、それでも身ぐるみ剥がされてないのがやや不審。
ハイブランドの品じゃあなかったからかな…とかいう暢気な解釈からじゃあなくて、
擂鉢街の禍狗は、着ているものを鞭や刃という武器にする異能持ちだというのに、
こんな長衣紋を着せたままで放置するとは何て不用心なと思ったからで。
それを知らぬ者に攫われたというのだろうか?
“…潮騒の音。地面がゆったりと上下に揺れている。
潮の香も強いし、何かしらの機械音もする…か。”
床のずっとずっと下方からだろう、
何層もの壁越しに ごうんごうんという大きめの何かの稼働音。
確か自分は繁華街を走る地下鉄に乗っていたはずだ、
なのに現在は全く別の場所に居るわけで。
こうなったそのつなぎ目に何があったか
知らず手のひらで触れていた首、
その瞬間にはっと思い出す。
斬り交わすなんてものじゃあない、ほぼ一方的に圧倒されまくりだったと思う。
半ば自棄のように拾った鞄で切っ先を叩き伏せたその隙を衝き、
異能の夜叉ではなく、その主人だった小さな少女の振るった当て身で昏倒してしまった情けなさ。
「〜〜〜。」
不覚にも意識を失ったのは何によってのことだったのかと、
そこいらの記憶がするするするッと浮かび上がって来たのと同時、
ぞわっと不吉な何かを感じ取る。
全身に鳥肌が立つような、俗にいう嫌な予感、
いやいやそんな生ぬるいもんじゃあない。これは
「…っ!」
切れ長の三白眼を刮目し、
ほぼ一瞬で 床へと伏せていた身を引き剥がすように跳ね起き、しゃにむに飛び退る。
そんな退避行動にかぶさるように、ガンッという堅い音がし、
唐突に視野の中へとなだれ込んで来たのは目映い昼間の光であり。
文字通り、暗がりを切り裂くようにしてこじ開けた何かが斟酌なく振り下ろしたのは、
大きくて切れ味も凄まじい、凶悪な刃の一閃だ。
咄嗟とはいえ、両手で床を叩くようにして身を起こし、
立ち上がると同時、そのまま勢いよく別の位置へと移動した芥川が伏せていた場所は、
どうやら移送用の大型コンテナの中だったようで。
頑丈なはずの鋼製だろう外郭が、一太刀で床部分までざっくりと裂かれているからおっかない。
意識が覚めた気配を外から察知していて、殺気を放てば避けようと判っていたものか、
だとすれば半端ない達人で、且つ、乱暴極まりない思考の持ち主と言えるのかも。
それでも一気に目が覚め、身体の反射も蘇ったのはありがたいなと
心臓ごと迫り上がった鼓動を宥めつつ苦笑する。
「生け捕りと聞いていたのだがな。」
現に、意識のない身を放置されていた。
手足をぎっちぎちに縛られていたわけでもなし、
命まで取ろうという略取じゃあないらしい。
少なくともこの身か、若しくは“羅生門”という異能か、
自分という存在に用があるはずではないのかと、
だというに、殺しては不味くないかと言葉少なに問うてみれば、
「……。」
コンテナのすぐ外から思いつめたような目でこちらを見やる存在がいる。
爆破予告をされた地下鉄の中で初めて相まみえた和装の少女で、
こちらからは初対面だったが、向こうからは標的としての見覚えもあるのだろうし
それとは別の何かしら、憎悪のようなものも感じなくはなく。
手を焼かせることへの逆恨みからだろうかと思いつつ、
“…そういえば。”
この子は対峙のさなかに “敦を連れてかせるわけには…”と口走っていた。
アツシという名の知り合いはいないと混乱していたが、
ふっと思い出したのが やはりマフィアつながりの直近の記憶。
『ボクは中島敦。御覧の通りの若輩者で、ポートマフィアの末席におります。』
そうだ、あの時…と思い出したのが、
偽の依頼で連れ出され、袋小路で相まみえたポートマフィアの二人連れ。
依頼人に成りすまして探偵社に来た女性が“先輩”と呼んでいた、
彼女より年少そうに見えた青年が、確かそうと名乗っていたような。
この季節に真っ黒な長い外套を着込んでいたところは いかにも怪しかったものの、
銀色に近い白髪をしていたし、肌も白く、瞳はガラス玉のように透いており、
そんなせいでか、そこにいるのにふわりと消えても不思議には感じないような、
どこか現実のものではないような印象のあった人物で。
“確か あいつは…。”
跳弾よろしく制御し損ねた羅生門の牙が誤って向かった谷崎を、
何故だか身を挺して庇って自らの脚を喰われ、
その痛さに我を忘れてか、いきなり巨大な虎に転変した。
あの姿が 彼の底の見えぬよな印象や雰囲気の源となる“異能”だとすれば、
その後に芥川自身も感じたように、
裏社会にて莫大な懸賞金が掛かっているとかいう 獣の性質持つ異能者とやら、
自分ではなく 本命は彼の方なのではなかろうか?
“……。”
この子にしても、そうと思えばこそ
懐いているお仲間のあの青年が他所へ差し出されるくらいならと、
そちらの首領殿が、何を思ってか目串を刺した自分をこそ差し出そうとした流れを修正しないまま、
自分も一枚咬んでのこと、当初の計画を続行中だということか。
“ともかく。”
このまま中途半端な残骸の中に居ても埒が明かないと、
念じることで外套の裾が風もないのに揺らめいて、するすると触手のように蠢き始め、
慣れ親しんだ異能が陽炎の如くに立ち上がる。
割られた格好のコンテナのその割れた縁まで伸ばすと、
バネを利かせて勢いよく外へ飛び出すことにする。
見回した周囲には自分が押し込められていたのと同じようなコンテナが壁のように積まれており、
自分が封じられていたコンテナだけが、一段低くなった中央の開けた場に据えられていた模様。
結構な高さの壁に取り巻かれているものの、
雲の流れや潮風の速さ、
床の揺れようといい、潮騒というには妙に耳につく波の音といい、
「……。」
擂鉢街から離れたのはつい最近。
なので、様々な事象への実体験ははっきり言って少なく薄い。
一般人ならとうに乗りこなしていようバスや地下鉄に乗ったのもここ最近の話で、
知ってはいても身に添うての知識はないものの方がまだまだ多い。
なので、何とはなくの推量で “まさかまさか”と思ってはいたが、
「…船か。」
日々 見てはいたがそこへと乗り出すなんて思考は浮かんだこともなかった海の上、
今や街を離れてぐんぐんと沖へ沖へ進軍中の貨物船の上らしく。
問うたわけではなかったが、芥川のつぶやきは拾えたか、
向かい合う少女は小さな顎を引くと是という意を示した。
「沖で取り引き。
積み荷の武器や資材と一緒に、貴方を引き渡すことになっている。」
当然のことながら、書面の上では “日本人男性一名”などと記載はされてない取り引きなのに違いなく。
訥々とした口調からして、あまり対人経験はない引っ込み思案な子なのだろう。
自慢ではないが、こちらもまた、あまり柔らかな物言いには縁のない芥川で。
そんな相手を説得するなぞ、至難の業と言え。
他に手勢がおればそれらを翻弄して引っ掻き回すという手も打てるのだがと、
難儀な相手と難儀な状況へ苦々しい表情のままでおれば。
こちらを睨み据える表情は硬いまま、胸元に提げていた携帯端末を握りしめると、
流れるような所作で持ち上げて頬に当て、
「抵抗出来ないよう弱らせて、夜叉白雪っ。」
「…っ!」
どちらが追い詰められているのやら、
言葉にしないと制御出来ないものか、叫ぶように宣した途端、
あの、絡繰り人形のような白和装の異能が抜刀しつつ姿を現す様は凄絶で。
具体的にどう動けと言う指示を出してはないというに、
大太刀を振りかぶったそのまま
流れるような太刀筋で右へ左へと切っ先を躍らせてくる太刀捌きは相当なもの。
そういう殺陣を前もって打ち合わせてあったかのように、
振り切ったそのまま構え直すことなく次の一閃へと刃が閃く。
どれほど場慣れしていても、何合か振り切るうちに失速してしまい、
いったん離れて体勢を立て直す必要が出るものが、
まるで隙がないままに、薙ぎ払いの衝き込んで来のと、
連綿とした攻勢を続ける、随分な練達らしき異能であり。
「くっ。」
一方の芥川はというと、荒事には慣れもあっての反射も利くが、
妹を連れていての対応が主だったせいか、その場しのぎという策の積み重ねで培われた代物で。
唐突な乱戦へなだれ込んだそのまま、臆さぬままに外套を転変させての黒獣を繰り出し、
突っ込んでくる鋭い剣戟をがっしと受け止めては、
払い飛ばしたり噛み砕いたりして、身に寄せぬようにと切り結んで応戦しているものの、
太刀を駆使する本格的な立ち合いを前に、
丁々発止とはお世辞にも呼べぬまま、ややもすると押され気味な対峙が続いている。
相手は幼い少女だが鍛錬は積んでいるものか、
異能が発揮する身ごなしや太刀捌きは彼女のスキルをそのまま反映されたものであるようで。
何合かに一突きは、衣紋を掠めるほどの接近を許してしまっており、
そのたびに距離を取るように飛び退るものの、相手からの追従はそれこそ容赦がない。
殺してしまっては不味いが さりとて見張るというスキルはないものか、
どうしたらいいものかと悩んだ末に、
いっそガツンと大きな打撃を与えて動けぬようにしてしまえとでも構えたらしく。
何なら大怪我を負わせても構わぬと見切ったものか、
間合いへ飛び込んでくる切っ先が身に迫るものばかりになっており
彼女がヒートアップしつつあるようなのがひしひしと感じ取れる。
「……っ。」
あまりな大技はそうそう使ったことはないけれど、
他に人の通行があるでなし、此処なら大きく除けるのも可能とあって、
羅生門の一端を足元の甲板の床材に突き立て、
それを支えに身を浮かせ、高々と縦に逃げる避けようを試してみる。
「あ。」
相手が少女だからと言っても ここまで既に相当に際どい攻撃を出されてもいるのだ。
腕や肩、脚や頬に切り割かれた痛みを感じつつ、
身を守るため、何より事態をこれ以上進めぬためにも、
芥川もまた相手同様やや強い一撃繰り出して 強引に動きを止めてもいいのではと思いはする。
ただ、自分の異能の制御の等級はまだまだ初心者と変わりがない。
その場から逃げるためとか、
腕の一本も落とされたってしょうがなかろというよな非道な相手へ繰り出す代物なら
こちらも衒いなく立ち向かえるが、
この少女はどこか悲壮な空気を醸しているのが気にかかる。
敦という存在を守りたいのだ、どこかへ連れ去られたくはないのだと、
そんな必死懸命な想い詰めが駄々洩れになっており、だからこその冴えでもあろうというのが伝わってくる。
ポートマフィアと言ったら、此処ヨコハマの裏社会の雄。
軍警や市警など鼻で笑い飛ばす様な貧民街の破落戸でも、そんな所属や肩書きを知れば避けて逃げるよな存在で。
自分の意思など通せない組織に違いなかろう、
だったら、首領の指令に添うて動いているだけだと、
何かしらの理屈を捻じ曲げてでも完遂するのだと構えているような。
“同等と思うのは烏滸がましいのかも知れぬが。”
妹を守るためなら相手を殺したって悔いはないと、
そういう覚悟を負い、相手へ斬りつけるような抵抗も辞さなかった。
幼いながら禍狗と呼ばれていた、そんな自分と大差ないのではなかろうかと
ついのこととて感じてしまい。
腕のほどは相手の方が上だろうに、必死な思い詰めように危うさを嗅ぎ取っておれば、
「…憐れまれる筋合いはないっ。」
ついつい凝視していた視線に こちらの意図が滲み出てでもいたものか、
彼女自身も懐から小太刀を掴み出し、それを抜き放って逆手に振り上げかかったものの、
Trirririririririri …と
貨物船上、またしても携帯が鳴り響く。
潮風や潮をかき分けるざわめきにも圧し負けない電子音にハッとして、
動作が止まった少女が困ったように固まりかかるが、
一気に後方へと飛び退り、先程異能への指示を出した折のように携帯端末を掴むと、
二つ折りのそれ、パクリと開いて頬へとあてがう。
距離を取られたため どんな声が何を言っているものか、芥川には聞こえてこなかったものの、不意に
「…っ。」
耳元での雑音でも立ったのか、眉をしかめて耳から機体を離した彼女で。
何かしらの指示の途中で雑音が入り、え?え?と戸惑う様子に覆いかぶさったのが、
【 鏡花ちゃん、そのまま止まってっ。】
何か機械を通したような大声一喝。
一瞬、彼女も、そして芥川も、彼女の手にある携帯端末を見やったものの、
それじゃないよという応じのように鳴り響いたのが、結構な速さで近づいてきたヘリコプターのプロペラの音。
ずんと高い中空にあっても結構な音で存在を知らしめるそれが、
こちらへ向かって真っ直ぐに飛行して来ており。
呆気に取られて見上げておれば、横っ腹の扉が中空でスライドし、
大層な勢いの風に撒かれているのだろうに、
髪やシャツを逆巻く旋風にはたかれても怖気ることなく、身を乗り出した人物があって。
「鏡花ちゃん、その人を斬ってはダメだっ。」
若しかしたら虎の咆哮という格好の異能でも持っているものか、
拡声器やスピーカも使わず、ローター音にも掻き消されずに、
それは良く通るお声で呼びかけて来た彼こそは、
「…敦っ!」
to be continued.(20.07.28.〜)
BACK/NEXT →
*此処のくだりの時系列が複雑で、
それが面倒だったってわけじゃあありませんが、
鏡花ちゃんが説得されることなくの、そのまんま芥川兄ぃにを掻っ攫ってしまったということで。
ちょっとばかし原作通りじゃない運びとなってます、相すみません。
敦くんも別人ですが、芥川くんはもっと別人になっちゃってて
頭抱えつつ書いております。
このまま行くと芥川くん、CP右側キャラになりそうな気が…。(おいおい)

|